相方である妻が、いや妻である相方が、どちらでも間違っていないが、一先ず相方としておくが、最近、映画の上映会の手伝いやあるフリースクールのファン活動にハマっています。
先週も映画上映チケット切りに出かけてます。
上田の映画のプロモーション団体の上映会のボランティアらしい。
代表はHさんというイケメンだ。
そういえば・・・イケメンと言えば、とあるリユースブックストアでカウンターに立っていたIさんにもハマっていた時期があったなぁ。
ん?フリースクールの代表は昨年には映画のモチーフになってイケているし、おじさんと呼ばれて良い歳のはずなのにプロフィール写真を見ると、イケメンだ。
確かにハゲでちょっとお腹の出ているぼくにはない要素がイケメンだ!
そして今ぼくは、年末年始を正面に捉え、年度末の足音が聴こえてくるこの時期にネガティブなオーラもまとっている旦那よりも断然、イケメンを眺めていたい気分なのかもしれません。
夫婦の愛情で補えない栄養分のようにイケメンを外で吸収してくるのは、至極真っ当で効率が良いかもしれない・・・ぐすん。
憧れる人や一緒にいたい人が沢山いることはすごく良いことだと思う・・・。
ところでイケメンは自分がイケメンと呼ばれるとどう思うんだろう。
きっと、うれしいだろうけどもその運命のイタズラと言うしかないだろう、今からどうしようもない外見について言われることに対して内心は少し心苦しさや肩身の狭さのようなものを感じているとも思う。
生まれ持ったものだ。
人からああだこうだと言われても、そうだと自覚がなくても、「わたしはこうなのだ」と言うしかない。
ぼくも一応、自分がイケメンである可能性についてこの歳にもなって信じているが、鏡の前ではどうも恥ずかしがり屋らしくソイツにお目にかかったことはない。
いやオトコは皆、大なり小なり心にイケメンを飼っているはずだし、しかしそれが表に出てくることは(ぼくの場合)、ない。
と言うか最近はスタジオライト/リベルテの大先輩でもある女性メンバーからいつも「かわいいかわいい」(そして、「なんで今日はいるのよ!」)と言われて、なんともい言えな気持ちになるが、きっとイケメンと言われるオトコたちはみんなそんな気持ちなのかもしれない。
と考えたとき、はたと気付く。
少しでもイケメンの苦悩がわかるぼくは、もしかしたらイケメンなのかもしれないと。
そう思い立ち、さっそくプロフィール写真を顔写真にしようと自撮りを試みたが、そこにはどうみても前髪からハゲちゃった、若者でもなければおじさんでもない「自分」がいて、少し安心した。
相方からのひとこと
(遅くなるから)夕飯、豚キムチ丼つくっておいてね。