2019年11月22日/水曜日/晴れ。
新しい企画のために上田市内をメンバーや関係者と歩きました。外部の参加者は現在はMさん、アーティストのYさん、とある事業のことでつながったMさん、そして街歩きとして物件のコーディネートしてくれたMさん。リベルテメンバーは、午前中に4名。
午後は途中まで4名。スタッフにも2人ずつ。
まずは「街歩きをしてみよう」ということだったけれど、巡り方のコーディネートがMさんの抜群のセンスが効いていて、リサーチのはずがめちゃめちゃ楽しかったです。
すごい!
午前中は、市街の裏通りを歩きながら、風景の中にある違和感を探す徘徊大会にいいつの間にかスライド。
Mさんもある程度のルートはつくっていたのだと思うけれど「街歩き」や「散歩」というよりももっとディープな「徘徊」「彷徨い」感に、みんなで入っていったように感じました。
さらに午後も!
午前の疲れもあったと思いますが、気持ちが街の風景の細部に入っていくような感覚は少なく、どちらかというと最初に自分が想定していた「物件巡り」という感じで、自分もよく歩いているルートを。
どちらも面白かったのは、メンバー以外にも外の人たちと巡れたことで、メンバーと向き合うというよりもメンバーと一緒に巡っている感がとても強く持てたことです。
一般化や全体化ではなくて、「それぞれだけどみんないる(そして、ここにいない人もいる)」みたいな感じをどうやってつくっていくか、そういう実験をいきなり出来た感じがとても良かったです。
同時に「コーディネートの力」の重要性を感じたけれど、たぶん「コーディネートすること」や「ファシリテートする」ことを目的化してしまうと、ぼくたちの場合はやろうとしていることにはならなそう。
「街をコーディネートする」のでもなく「地域の人をファシリテートする」のでもなく、もっと言えば「メンバーのための地域づくりをする」ということでもない、「すでにいるのにいないことになっていることへ(わたしが感じる)違和感」をリベルテとして表現することができたら面白そうだ。
共有の時間に「リベルテのメンバーがいることに意味がある。それがズレなければ問題は全くない」というMさん(イニシャルにしたら参加者に沢山「Mさん」がいる!ぼくもMだ。)アドバイスはすごく勇気付けられました。
一方で「企画として面白く」やろうとすると結局は目的化してしまい、リベルテの内側を外側を作り出す(しかし、それは全く同じことをすることではなく、その瞬間と居合わせた人と作り出す)ことになりません。
ある場所で、メンバーが置かれている桶を見て突然放ち「閃いた!うーんと、桶がオッケー」ッケー」ケー」ー」とこだまし、「しーん」と聴こえたんじゃないかってぐらい一瞬静まり返ったあの瞬間、ぼくは今、お休み期間に入っているあるメンバーのことを思い出しました。
リバーサイドレコードの社長だったら「オー怪我(け・が)はないか?」と切り替えしてくれたんじゃないか。