しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々をしゃむしゃむと呼ばれている代表がつづります。

日報20180612

ある施設に通うアーティストについての批評テキストをウェブ上で読みました。

作者・関係者・施設についても、そこで初めて知ることも多かったのですが、施設で「支援」によって描いている絵と、これまで描いてきた絵、評価された絵と評価されづらい絵、利用者と支援者、家族の関係と見えない社会のルールの中でレールが引かれているかもしれない人生について、考察したルポルタージュでした。
自身に引きつけて考えれば、そういうことはリベルテの福祉事業の中でもあり得ると思います。
福祉とアート、利用者にとっての福祉施設として意味と、作者として作品が評価されること、そしてそれに対する外からの価値付けが必ずも一致しないことって、往々にあるだろうし、批評の伴う舞台に上がっていくときに、誰がそれを望んでいるか、または(望まないか)ってことを考え、そして省みることはとても大事なことです。
いや、アートだけではないはず。
仕事や就労だって、施設の求めるものと利用者・メンバー・障害のある人の求めるものが、合致していれば幸せかもしれないけれど、どうしたってそこにはズレはある。
そこから次の歩を出すかどうか、出すとしたらどう出すのか、そのためにも。



先日もあるメンバーに、こちらから素材を提供して描いてもらった絵の後に、疲れてしまったからと「楽して描いた絵」がすごく良くて、でも本人は「それじゃ楽すぎるから真面目に描く」と言っていました。
絵が生まれる背景でしかない、支援者だけど、利用者にしたら大事な評価の指針になっているし、支援者を見て社会の鏡だと思っている人も多い。
そもそも何をもって「良い」とするのか。
その部分をどう支援者間で共有したり、議論できるか、その過程を社会化・相対化できるか。
ディレクションの責任主体が見えづらい「施設」という組織にあって、その支援やプログラム、仕事づくりについて、施設の運営や制度との整合性と、考えクリアしていくことは多いけれど、施設を開き社会化しつつ相対的な視座をどうやって、内部に差し込んでいくか。
制度の上に乗っかっている福祉施設運営の、大きな課題でもあり、責任のあり方について、考えることが多く、そしてそれがいちばん福祉施設を運営する仕事のやりがいの部分でもあります。
しかし、そのやりがいのために利用する人、利用を希望する人が消費されてしまっては本末転倒ではあるし、ともすれば利用する人自身にも障害や社会に対する偏見やレッテル、死角はあり、どちらが正しいということではなく、どこに向かっていくのか、何を叶えんとするのか、何がいちばん幸せなのか、その往復間書のような時間のかかる誤配も含めて、取り組むことが支援だと思います。
かと言って、統合失調症発達障害の弟の家族として思うけれど家族の意向や、誰しも人として当然ある、その場限りの感情や感覚に支援が付き合い続けることは難しいとも思います。

「おもしろいこと」「たのしいこと」「みとめてくれること」「明るい未来」を求めて福祉サービスを利用する人も多いと思います。
ぼくだって同じです。
だけど、施設の中の支援者だけが、利用者にとってそうであればいいのでしょうか。
職業としての支援者という身軽さや気軽さは、軽やかに社会の中に福祉の仕事を浸透させていくには必要かもしれませんが、同じくらいに軽やかに仕事を辞めたり、違う職場にも移れます。

ぼくは支援者が支援者を辞められるということは、良いことだとも思っているけれど、問題は残っている人、残った人、残されたと思った人も、社会の中に、ではなく遠周に、社会の遠周として追いやられてしまなわいような、そういう支援づくりを施設や、はたまた残らなかった人も、どう自身のポジションを踏まえ構築していくか、その中で一人ひとりの幸福をどう実現していくか。
そういうことが必要だと考えています。

現在、リベルテの福祉事業では施設外就労に向けて、(自施設としては)新しい仕事づくりを始めています。
その仕事も、さて利用者であるメンバーが100%望んだ仕事になるかどうか、と言ったらそういうことだけではありません。
依頼主がいて、それを受ける側としてリベルテがあり、実際に仕事を担うメンバーがいます。
そういうときに、どういう舵を施設が切るか。
どういう対話や支援のプロセスをつくるか。
社会の中で、利用者その人を肯定し、共感し、はたまた対等な関係性や施設以外の居場所づくりを目指すときに、利用者にとって自身の価値観が相対化されるときが絶対にきます。
それは語弊を恐れず言えば「おもしろくない」ってこともあるでしょう。
この想定外の人生に、おもしろいことだけをお膳立てするのは困難で、だからこそ一緒にそこを面白がれるような場づくりや、関係づくりにつながるのだと思います。
そのときに支援者はその「おもしろくない」こととどう付き合い、どう解消していくか。
と、同時に、そこに「いない」人は、どういう接続を社会に開き、または穿つのか。
どう一緒に考え、行動に移していくかが、そういうプロセスを考えていきたいです。

(2018/6/15 0:27 記事を一部修正)


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