しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々をしゃむしゃむと呼ばれている代表がつづります。

ニーゼと光のアトリエ

映画『ニーゼと光のアトリエ』*1が上田映劇で5月13日〜25日に上映されます。
今回の上映でBOOKS & CAFE NABO.さんと一緒にリベルテもタイアップさせていただく機会をいただきました。
会期中、メンバーの作品展示とリベルテのグッズ販売も行います!


さて、この映画の舞台は1940年代のブラジルの精神科病院
当時、精神障害者発達障害者の「ケア」は閉鎖された病棟への入院と投薬、そしてロボトミーや電気ショック療法が最先端の有効な治療とされてた時代だったようです。
その治療法に反対し、仲間と作業療法室をアトリエとして開放した実在の医師ニージ・ダ・シウヴェイラを描いた作品がこの映画です。

  • 映画「ニーゼと光のアトリエ」公式ホームページ

http://maru-movie.com/nise.html

映画『ニーゼと光のアトリエ』予告編

  • 上田映劇

http://www.uedaeigeki.com

  • Books&Café NABO(ネイボ)

http://www.nabo.jp


福祉を題材にした映画でも、フィクションでもドキュメンタリーだとしても、ぼくは映画が社会問題に対する抗生物質のような特効薬にはならないと思っています。
だからだと思うのですが余計に、役者の演じる患者や支援者に、物語に感情移入して観てしまいました。
自分の仕事への親和性もありますが、だけどすごく、リアルに感じて、色んなことを思い出したり、自分自身に翻して考えたりと、鑑賞しながら登場人物や場面に問いかけられ対話しているような体験をした映画でした。

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ぼくはニーゼのようなアトリエを(きっと)望んで障がいのある人とのアトリエ活動を仕事に、前職と現在とこの10数年取り組んできました。
だからニーゼやその仲間に感情移入したのかといえば、それだけではなく、例えば、フェルナンドのように恋に浮足立ちそして失恋にむせび泣く(泣きたい)こともありました。
弟のエミジオに口を利かれない兄でもあり沈黙する彼自身だったこともあるだろうし、権威的な存在として君臨する男性医師たちのような自分も発見したりしました。
予算も充ててもらえないマンネリ化した職務へのストレスや障がい者への差別感から抑圧者だったリマが、「クライアント」としてルシオたちとパートナーシップを結び直していく場面は、感動と同時に自分自身の心をきつく鷲掴みされ切なくなりました。
彼がある場面で暴力で反撃せず負傷する場面は、ぼくにとってこの映画のクライマックスでした。
絵を描くことを知り興奮する「クライアント」の横で、その出来事を目撃し、パーティーを楽しむシーンでは自分たちの仕事のやりがいを追体験しているような嬉しさがこみ上げてきました。
ぐっと気持ちが揺らぐような、どこか知っているだろうと思っていた障がいのある人との「アトリエ」を取り組むことについて揺さぶられた時間でした。


ぼくは映画が特効薬として現実の問題を劇的に変えたりしないと思っています。
だけど、映画が人の心を揺さぶり価値観の振れ幅を大きくして、新しい何かを滑り込ませる「隙間」を生むのだとしたら、きっとこの映画は、観る人にそのスペースをきっとつくってくれるんじゃないかと思います。
ニーゼとその仲間たちがつくったアトリエのように。


ご興味ある方、映画好きな方、ぜひご覧下さい。
(福祉関係者割引あります!詳しくはリベルテまで)

*1:この邦題も好きです。「ニーゼの」ではなく「ニーゼと・・・」名付けられていることに、とても共感しました。つまり「ニーゼを描くためにある」物語でもなく、「彼女が所有しているアトリエ」という意味でもなく、「ニーゼとその場に集まった人たちの」物語ということを表しているからです。