先日、神奈川県相模原市の入所障がい者施設で起こった事件はとても痛ましく悲しい出来事でした。
亡くなった方のご冥福を心からお祈りし、お悔やみを申し上げます。
また負傷された方の一刻も早いご回復をお祈りします。
犯人の彼は「障害者を恨んでいた」と供述しているそうですが、なんで恨むまでになってしまったんでしょうか。
なぜ施設職員として何年も働いていたのにも関わらず、考え方が変わりそして行動にも移してしまったんでしょうか。
相模原の障害者施設殺傷:障害者福祉、改善の陰で=論説委員・野沢和弘 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160727/ddm/002/040/058000c
ぼく自身、この事件のことについては、とても悲しくそして驚いていもいます。
そしてこの事件の報道を目にする度に「働く場所」としての福祉の「厳しさ」を経営者としても痛感します。
リベルテの運営するスタジオライトも、他の福祉事業所もサービスも障がいのある人が仕事や活動、そして生活の「支援を受ける機会」であると同時に、支援を仕事にする「働く場」でもあるのです。
今年度はじめのこの通信でも書きましたが、支援の量や質と売上が比例する訳ではありません。
だけど働くスタッフの環境を整えることは、施設経営の売上とは別だとしても、スタジオライトのメンバーにとって良い環境が整うことでもあり、新しい挑戦や選択して取り組める内容が増える機会となっていきます。
しかし細かく決められた障がい福祉サービスの法律や制度の中で、最大限の配慮をしても、出来ることの限界は明確にあります。
施設が利用する本人から求められること以上に、社会から求められている福祉の役割というのは実際に現場職員の働き方に大きく影響します。
今回の事件では120人以上の入所者に対して8人+1人の警備員も配置されていています。
決して多くはないですが少なくないフツーの人員配置であり、むしろ警備員が配置されていることに施設の配慮を感じられます。
が、きっと一般の方からすると「職員が少ない」と感じられると思います。
それが福祉の「働く場」の現実だったりします。
そうしてこの福祉の世界では少なくないが、一般的には20人に1人の職員は少ないと感じるような「働く場」に、犯人となった男性も数年働いていたのです。
どんどん入所施設は閉鎖的になっていく気がしてならない。
— 櫛野展正 (@kushinon) 2016年7月27日
【相模原19人刺殺】入居者の見守りに力点置かれ、外部侵入への警備手薄な福祉施設 https://t.co/LPeushOKrt
今、介護の現場や制度は報道されている通り、介護を受ける人の負担も増えると同時に、施設の報酬もジワジワと削られてきています。
障がい福祉サービスの報酬も、大きな報道とはなりませんがその方向になっていくんではないかと予想をしていますし、実際にはそうなってきているのだと思います。
そのような現状の中、今回のような事件や虐待事案、グループホームや入所施設の火災や災害、集団感染などが起こると行政からは安全管理のマニュアルや職員指導について通知が出ます。
また長野県上田市にある福祉施設には県庁の地方事務所の職員の方が数年に1回必ず「実地指導」として行政指導をどこの施設も等しく受けます。
この指導に上記のマニュアルや安全管理についての指摘や新しい動きについて「指導」を受けることにもなります。
ニュースで流れるような大きな事件・事故・災害については、制度などを動かすこともあり、施設の運営する基準がそれらに対応することを前提に変わることもあります。
もちろん「人を守る」ためのそれらです。
ないよりあった方が絶対に良いし、必要でないとも思いません。
だけど、それを実施するのは「働いている人」だし、同じように福祉サービスを使う人の可能性を「支援」という何かで一緒に探し広げていくのも「働いている人」です。
施設に求めるものが多く多様に、そして厳密になっていくことが「働く場」としての柔軟性を失うことにつながり、結果、障がいのある人が社会の中でやっと選べる「障害者福祉」が「安全と安心」を得るために厳密さと管理された空間になっていくことは、一体「だれのため」なんでしょうか。
「人の営みが生活や地域、社会をつくっていく」ことだと社会学では考えるそうですが、障害福祉に関わるぼくらは、どんな営みでだれとどんな関係を結びながら社会や地域をつくっていくことを望んでいけば良いのでしょうか。
残念ながら今回の事件の犯人は事件の起きた施設の元職員でした。
ぼくはその人の気持ちにまったく共感もできなければ感情移入の余地もないけれど。
加害者(を罰すれば済むんだという話)と被害者(となるかもしれないから制度や政策でなんとかするという話)の問題だけではなく、その関係が生まれた何だかおかしい(もしかしたら自分も「障害者を憎む」人になってしまっていたかもしれない)ことについて発信したり考えたりしないといけないと思いました。
結果として福祉の「優しさ」と「思いやり」と「あったかい」福祉ではなく、もっと弱くヘンテコでいびつな部分が現れてくるかもしれません。
それでも、リベルテの日々やメンバーとの営みの中にいれる自分がとても幸せな気持ちになっていることに気づくことがあるように、そのこともリベルテらしくこれからも試しながら、発信し、取り組んでいきたいと強く思いました。