しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々をしゃむしゃむと呼ばれている代表がつづります。

キレることは容易だと

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なんだかnoteに文章書く人が身近にも増えて、確かに使い勝手いいしなーと思いつつ、ダラダラと事業や身の回りの近況報告を書くのはこちらの方が書きやすいなぁ、と。
note.com

さて、この2年ぐらいぼんやりと考えていたことの1つに、リベルテを閉じる時やぼくがリベルテを辞めるときの準備というものがあります。
あ、嫌になってとか、現実的にやばいということではなくて、そういうこととも想定しておきたいなと思っていた、というぐらいなのですが…。
しかしリベルテが成り立つのは地域福祉の関係性や経営・運営の仕組みも、自分が中心につくってしまっているので、ぼくが死んだら事業が少なくともこの形態では絶対に続けられなくなる!と思い、自分と妻が頑張ればなんとかなる、と思ってやっていたことを変えようとしました。

そんなことを考えようと思ったきっかけは、リベルテが常勤もアルバイトのスタッフも増え、今のチームワークが形づくられてきたことを自分もその中で実感できたことがとても大きいです。
自分自身がプライベートのことで、例えばヘモ(ぢ🍑)さんと別れるために2週間傷心(身)であっても、仕事を離れることができ、だからと言ってスタッフがその分の残業をしなければならないような感じにもなっていない。
自分がリベルテにいないことを考えるのは寂しいですが、自分が生み出したリベルテという場が、いつの間にかちゃんとぼく以外の人格を伴ってメンバーやスタッフの中にそれぞれあるんだということを日に日に感じています。

今日も娘をお風呂に入れる前に、もしぼくが新型コロナの感染者になった場合どうしようかと妻と話をしました。
その最悪な場合、ぼくは志村けんのいる方の世界に行くかもしれない。
その時、残された人は本当に困ってしまうだろうなと、やっぱりまだまだぼくのリベルテに対してやることは沢山残っているんだとハッとします。
だから自分のことをもっと大事にしていきたい。


自分に対する不全感は、怒りや不安になって自分にも向かうし、それを直視できなければ、モラルハラスメントととして人に向います。
バンドDragon Ashが「Melancholy」という曲の中で「キレることは容易だと承知した上で/人はまた歩き続け」と歌っていて、そうだそうだといつもこの曲を聞くたびに、怒りを抑えずに身近な人に当たってしまった後に、思い出します。
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ぼくはたぶん人よりパニックになるやすいので、色んなことを準備しすぎてしまう傾向があります。
人のことを許せるようになろうと、人を怒らないということをできるだけ意識して実践してきた結果、沢山の気づきを人からプレゼントしてもらいました。
すぐ怒らない、自分を責めない、人のせいにしない。
自分の準備したもの以外に寛容になる。
相手を怖いものだと思い込まない。
そういうことを意識して、自分の態度から変えていく作業はどこか何かを演じているような感覚に近いのかも。

あ、今回、すごい取り留めない文章になってしまった。
書きたかった結論すらどこかに行ってしまった。