しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々をしゃむしゃむと呼ばれている代表がつづります。

日報20200301

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以下、上記のフェイスブックの投稿を加筆編集し再掲。

3月2日から全国の公立小中高の休校の要請が2020年2月27日木曜日に出ました。
来週どころか、週末にかかりあと数日のうちにどうするか、小学校の子どもがいる家庭は考えないといけなし、子どもがいるスタッフには休みになるのか出勤してもらえるのか、調整が必要でした。

感染症に対して福祉施設の運営者としてどう対応するか本当に悩ましいところです。
スタッフと最初に共有したのは「法人として施設内・関係者に感染者が出ても責めたり罰則を行うことはしない」こと。

社会福祉施設は保育園・保育所・学童などのように受け入れ対応を継続・拡大して、仕事を持つ家族やきょうだいの支援を行う必要性が、普段の本人の支援の後ろ側(意識はしていますが)にあることが表面化してくる可能性も先の要請で感じました。
施設としての機能を残しつつ、同時に働く人が安心してこの対策期間を乗り越えることを考えると「やる/やらない」という話に依らない判断が求められています。
小さな事業所も「山場」と言われているこの1〜2週間の舵取りはなかなか大変です。
世の中のイベントや公共施設の自粛について個人的には過度な対応はしたくないと思いつつ、こうした不特定多数の人が行き来し、しかも基礎疾患を有する人もいる「福祉施設」では、など万が一の感染が起こった場合、人の命を左右してしまいます。
先に書いたように親やきょうだいの家族支援の要素も含め開所している施設であると同時に、そこで働いているスタッフにも子どもがいて、そのスタッフがいなければ事業は動きません。
突然の要請に、感染の拡大防止が狙いだとしても、かなり高圧的な印象をぼく懐きました。
しかし施設の判断をこの動きの中で行う立場で言えば、国や行政の動きや社会の雰囲気に対して表層的かつ感情的に行動や指針を法人やチームにするのであれば、規模や仕組みや種類は全く違うとはいえ、それは現場の人には同じような横暴さを感じてしまうでしょう。
おかしいから行動しようとか、雇っているんだから、とかそういう理論でなく、お互いの状況を風呂敷に広げながら、できることをできるだけ無理を強いて断絶を生むようなことは避けないといけないと考えています。

今回は「わからない」ことが多い事態です。
今、ぼくは疑心暗鬼になったり、不安や不満が募ったりしやすいです。
それが表出したとき、向かう先はだいたいは立場の弱い人や迷っている人、自分と意見の違い人です。
ぼくの場合はスタッフやメンバーだし、妻や子もそうです。
どんなに正しい意見や方針でも、ぼくが違和感として感じたことを目の前の人たちに対して再生産しているとしたら、それはこの見えない敵の「罠」だし不毛(たしかにぼくは毛は薄いけど)です。

施設の運営者として「責任問題」がチラつけば、ぼくは揺らぎます。
そのことによって萎縮することと、感染症に基礎疾患があるメンバーが罹患し命の危険にさらされることについて検討することは、本質的に違います。
違いますが繋がっています。
基本的な対策も改めて見直して、それでもどこまでやっても充分ではない可能性もあるから、やはり基本的な対応があって場を開けるということをしていけます。
そこは人のせいにはできません。
なので、人を責めない、人への責任の追及をしない。
問題は構造や過程の中に潜んでいます。
今回の場合、「預ける場所がない」という問題よりも「働けないのか?」と「預けた先は安全なのか?」の間で休めないことの不安が大きくなるだろうなと感じました。

昼間、ある方へお電話し1時間もお話させてしまいましたが、いい意味でこの2日で感じたことの揺り戻しがきた感覚がありました。
一昨日は、たぶん対応真っ最中で忙しい中にある別の形にも電話してしまい、状況や対策のことを質問したりして、この数日で3月スタートについて考える機会ができました。
同じようにスタッフと話し合えること、どんな些細なことでもヘルプや意見を出してもらえること、代表であるぼくに対して先入観を持たずに相談や連絡が頻繁に入ること、この時期にそのことがとてもありがたく感じています。
メンバーもみんな、こういう事態にはこういう事態の「いつも通り」で、ぼく自身も変な言い方ですが安心しました。
ぼくも不安ですが、メンバーとスタッフを無条件に信じていくこと、それがいちばん大事。

一昨日、ある案件の結果が届き、今回の対応の追い風になればいいなと思ったりしています。
この「わからない」という事態が人の猜疑心を煽っていることを気をつけながら、一つひとつ取り組んでいきたいです。