しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々をしゃむしゃむと呼ばれている代表がつづります。

リーフレット2019版によせて

はじめに

このテキストは、リベルテの事業紹介リーフレット『リベフレット LIBEFLET』2019年度版へ掲載したものになります。

「わたしがわたしであるための表現」のために――Expression for being yours

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 人と人が一緒にいるということには大小の葛藤が生まれます。その摩擦がひどくなれば争いや、ヘイトクライムを起こすかもしれません。対話やコミュニケーションの断絶と危機がそこにはあります。顔の見えない「あなた」への不安や恐怖、偏見が一方的なラベルリングとなれば、差別やいじめとなるでしょう。だけどその「葛藤」そのものが悪く、また相手がいるからそうなるんだとも一概に言えません。(ぼくも含め)誰もそのことを「自分がする訳ない」と棚上げはできません。ぼくたちはもう同じ社会の中で一緒に生きています。そして、みんな間違えることがあります。だから「わたし」が障害を、生きづらさを感じたとき、独り抱え苦しむ必要もないでしょう。障害をなかったことにして、本当の「あなた」や「わたし」を否定したくはないです。「お互いさま」ってこともあるはずだ。みんなそれぞれの生き方や幸せを実現するために、どうしたらいいか考えたり、それを実際にやってみたり、逃げたり休んだりするし、間違えてもいい。いつだってユーモアをたずさえて、やり直しも、いくらしたっていいじゃないか。ぼくは、そう思います。

 リベルテはそれができるアジールのような場所であればいいなと思っています。アジールは権威に支配されずに出入りが自由な「避難所」や「自由領域」を意味します。リベルテが行っている福祉事業も文化事業も、わたしたちが「ともに」社会や地域の中にいれるための自分なりの生き方や幸せの可能性を広げるための試みです。だから「できないこと」があってもいい。眼の前にある筆を動かし色を塗り好きなアイドルのダンスを踊り、それを見ていたっていい。本を読みメモ帳やコピー用紙に何かを書き付け、より良い生き方に思いふけててもいい。雑談し横になり、思わずソファで寝こけたっていい。特別なことではないけれど、その当たり前の日常にある断片的でとりとめのないささやかな選択も、日々の繰り返しの中で「個人の文化」をつくるでしょう。リベルテは、そこにある表現を――当たり前すぎて美術や作品と言うにはとても弱く、しかし確かにある個人的な振る舞いも――「わたしがわたしであるための表現」として捉えます。その視点でぼくの、「わたし」や「あなた」の日々を見つめたとき、それは切実でかけがえのないものの積み重ねで成り立っているかもしれません。

 ぼくとあなたがともに生きるこの社会で「障害がある」ことを、あなたや誰かに押し付けたり、ネガティブなものだと無視したりしたくありません。制度や仕組みの枠組の中だけで福祉を考えるのではなく、人の幸せを広げていくものです。障害について考え何かをしようと試みる、そのことは地域社会と個人の関係を新しくつなぎ直すことができるかもしれません。「わたしがわたしであるための表現」を動力に、目の前のあなたと、あなたと、あなたと、、、とともに考え取り組む場を目指します。


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BGM