しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々をしゃむしゃむと呼ばれている代表がつづります。

熊倉敬聡さん『藝術2.0』の読書中感想

f:id:npo_liberte:20190605151017j:plain

藝術2.0を読んでいて、思いがけずバザールカフェのことを思い出しました。
バザールカフェにボランティアをしたのは、たしか2001〜02年の間の3ヶ月ぐらいだったと思います。
友人の作品を集め作品展を開催しようと思い、どこでどう知ったかバザールカフェに行き着いたのでした。(ほんとうにどうやって辿り着いたのか忘れちゃったなぁ…汗)せっかくその場所で作品展をするのだからと、その場のことを少しでも知ろうと、お客さんとしてだけでなく実際にボランティアでも働いてみたのでした。だからってあの場のことを知っているとは決して言えないけれど、わからないなりに場に入りそこにいる人とすごした時間や体験は、少なからずリベルテを構成する成分となっていると(勝手に)思っています。
ぼくが知っている当時、ウィークエンドカフェとして営業日が限られていたその空間は、責任者としてのリーダーはいるけれど、その運営はミーティングで決定されメーンのメニューは日替わりシェフである滞日外国人など、その日入る人が決めていました。メニューもそんなに多くはなかったけど、常連も観光客やデートしているカップルがいて、庭で作業している人やウェイターも個性豊かで、イベントも数多くはないけれど毎月ある。
持込可能で自発性重視。だれが当事者であるかということよりも、最低限気をつけること(どういう場であるか)ということを共有し、それ以外はミーティングで確認していく。内輪と外部が、ゆるく繋がっている感じがとても気になりました。役割や任せたことを勝手に変えない。「ゆるやかに共有されている場」であることに互いに敬意を払う。プライバシーや話したくないことを深く聞き出さない、そして勝手に配慮しない。被支援者やスタッフが社会に対して発信していくのではなくて、その場が媒介になって、社会や地域の課題へ問題意識をもつ人が、その当事者としてアクセスしていく。今、振り返るとそんな場であった気がします。(もうかなり昔で理想化されてしまっているところもあるかもしれないけれど…。)

弱者は誰だ、と視線を向けられることの恐怖ややるせなさがないことは、あの空間の風通しの良さをつくっていて、実は当時(今も?)ただただ痛いヤツだったぼく自身がそれに救われていたんだとも思います。自ら語ること、また障害や病気を現象として共有し追いかけることがない状況で、他人からからあなたは「こういう人間」だと固定化・ラベリングされることはなかなか苦しいときもあるだろうと思います。人から視線をズラして庭や建築の設えやコーヒーやランチをともにすごせること、そこから対話が生まれる気配をつくること。

カフェのフリして運営している人たちがなんとなく自分ができることを持ち寄ったり役割として選ぶことで成立する。バザール=雑多でそれぞれ自分の価値を自ら決めることで生まれる「市場」のような場、という考え方が中心にあったんじゃないか。そういうところに、ぼくは無意識に影響を受けリベルテにもそれを再現しようとしているのかもしれません。

まだ読み途中の『藝術2.0』。
ウィークエンドカフェの章では、内容からずれて、思い出と試行の間にある言葉を手探るような感覚で読んでいます。

知っている人たちが企画している熊倉敬聡さんや『藝術2.0』関連イベント
↓↓↓
ActiveBookDialogueで『藝術2.0』を誤読しよう〜先生、「藝術2.0」って何なんデスカ?〜
www.facebook.com

 
福祉をかえる「アート化」セミナー2019「芸術か非芸術か」―分断を乗り越えて―
www.facebook.com
tanpoponoye.org