しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々を苔おじさんと呼ばれている代表がつづります。

路上の果て(コトノネ里見さんのお手紙を読み②)

リベルテではコトノネ軒先店として株式会社はたらくよろこびデザイン室が制作している『コトノネ』を毎号取り扱っています。

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さて、話は前回の続きです。

今回のコトノネの企画の1つで取り上げられた釜ヶ崎にはぼくはまだ行ったことがありません。
今回の話を読んで思い出したのは、ぼくが京都ですごした学生時代のことです。
ぼくは高校2年生、部活の大会中に飲酒しているヤツらが見つかって一時休部になっていたときに美術大学を目指しました。
まず京都に行き専門学校を見学に行き、ギャラリー巡りを初めてしたときに会ったのが、Hさんという路上生活者のおじさんでした。
正確には当時、ビルの夜は清掃をして、昼は自転車でそのビルを拠点にいろんなギャラリーや美術館めぐりをしていたようです。
よく京都市美術館の公園で寝ているおじさんを見かけましたし、探すときはだいたい決まった場所をいくつか回れば会えました。
大学に無事合格した後、偶然にも再開してそのHさんとは、傍からみれば付きまとわれていたようにも見えていたと思いますが、一緒にギャラリーめぐりしたり、なぜか女の子を紹介してくれたり(しかも、ぼくと同じ大学の別の学部の人)、なぜかそのおじさんがその女の子と色々ありぼくも巻き込まれて大変だったりと…と、まあそんなこともありました。
京都を離れた後も、たまに手紙を送りました。
おじさんが清掃しているそのビルに送れば(というか、そこに送ってと言われたから)、届いたからです。
しばらくして手紙を送ったら、宛名不明で転送先から返送されてしまいました。
最後の返信というは返送は、愛知県で、いつの間にか居というか、居場所を移していました。

その後、そのHさんがどうなったかはぼくは知りません。
知る手はずもありません。
Hさんが清掃していたビルは京都市役所の西側にありました。
京都市役所の生け垣に短冊(しかも七夕用!)で自作の川柳を、たぶん、と言うかあれば絶対に勝手にくくりつけていました。
コソコソとではなく、Hさんの自己責任と、覚悟というより、そうしなければいけない何か必然性があったのだと思います。
よく怒られていそうでしたし、取り立て屋みたいな人がいるときもありましたし、酔っ払いをしかって殴られたり、たぶん女の子ナンパして締められていそうなときもありました。
勝手に生きるって、リスクもあるし、ぼくからみれば苦しいだろう連続だけど、楽しそうでした。
今思えば、ぼくが初めて出会ったストリートアートは、それだったり、行政期間にゲリラ的にポエムを投下していくその姿は、もだれが書いているか一目瞭然だったことをあげればバンクシーよりインパクトがある行為だったのかもしれません。
路上の果て、Hさんはどこに行ったのか。
生きているのか、死んでしまっているのか。
きっとHさんも頼り方次第で、頼れたところがあったと思います。
だけど路上をストリートを選んでいた。
反権力と呼ぶには雨風でさえ吹き飛ばされてしまうようにあまりにも弱々しい、だけど言葉の軽やかさと奥行きのある川柳を歌った、自身も表現者でした。
そんなことを思い出しました。