苔おじさんのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々を苔おじさんと呼ばれている代表がつづります。

ズレていくコミュニケーション

最近、自分がコミュニケーションが下手だということを、隠したりはしないけど、人と話す時の前置きのように言わなくなりました。
誰しも多少なりとも「人と話すことが苦手」だったり、「自分はコミュニケーション上手じゃない」って思っているんではないかと、この頃(今頃?)気づいてしまったから。
すごいお喋りが上手な(ようにぼくから見える)人も、ブログやSNSで話すかのように投稿を量産している人も、ともすれば人が好き!コミュニケーション大事!という人も、コミュニケーション自体が上手だとは思っていないようだ、と何かの拍子に、会議の帰りに車を運転しているかなにかのときに、閃いたのだ。
たぶんコミュニケーションに劣等感をもっていると、ぼくと同じ場合だとして、人に間違えないように伝えようという意識ばっかり働いて一方的に話してしまったり逆に間違えないようにと言葉を選ぼうとして黙ってしまうことって多いんじゃないかと思います。
コミュニケーションは、言葉だけのキャッチボールではなくて、視線や身振りや態度なんかの非言語的な、身体的なやりとりも含まれているはずです。
で、そういうを「空気読む」というのかもしれないけれど、空気読むにも空気の読み方を「技術」として*1なければと読めません。
だからいちばんは相手に聴く、質問する、問いかけてみるっていう、シンプルで素直なことが、たぶん今現在、この時代には、ものすごく大事になってきている気がします。
だとしても、「相手考えている」ことは100%分からないし、「自分の言いたいこと」だって全て言葉としていい切れるかって言ったら難しいですよね。
そこにはいつもズレがあって、そのズレを少しずつ、どんなにピッタリと合うことがなくても、「あ、そうそう、そういうことだよね」ってところに、落ち着く。
それが、きっと「自分がコミュニケーションが下手だ」と思っている人の「コミュニケーション」のことだとも思う。
だから逆に言えば、コミュニケーションはもともと伝わらないし、ズレもあるものなんだ。
そういうものだし、そういうものを抱えている「私」は、この街で出会おうが出会わかろうが「彼」らや「彼女」らと、社会をつくっているわけで、仲良さそうでも、仲悪くても、実はお互いに勝手にそう思い合っているだけ、そういう気すらしてしまう。
そうそう、さらにそのズレがあるってこと、そういうことを人間は無意識に、染み付いているように知っていて、意思を、相手に、届ける、または、他人の、言葉(言語/非言語)を、聴いて、想像する、というように頭というか魂というか、腹の肝の方で反応するようになっているようなイメージをぼくは持っています。
この辺は脳科学とかの話なのかもしれないけれど、それを科学的に証明したいんじゃなくて、社会というズレのある曖昧な関係の集積の中で「コミュニケーション上手」って、本当はないのかもしれないってこと。
ズレてるんだから、相手をに正しく理解しようとか、自分のことを正しく伝えたいというより、自分の放った言葉の行き先と返ってくる言葉の放物線の往復から生まれるものを信じて、そこからコミュニケーションの答えを探っていきたいなと思っています。
この自分の都合の良い事実を切り取って発信し消費されていつの間にかなかったことになってしまうメディアの時代に。

*1:ぼくは「技術」があると思っていて、どうもそれはなかなかテキスト化、体系化されづらいもののようだと思っています。だけど、たぶん実は解析できるんじゃないか?そういう一部がコミュニケーション系の自己啓発本だったりするんだろうけど。「発達障害」のある人たちからみ「定型発達症候群」の説明をしたら、もっと実際に近い「技術」が抽出できるのかも。