苔おじさんのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々を苔おじさんと呼ばれている代表がつづります。

日報20180106(何が「苦しい」のか「わからない」という苦しさ)

この仕事をしているからなのか、そもそもぼくが鈍感*1で気づかないだけなのか、障害のある人は自分自身の困難さをすごく理解していると思ってしまうことがあります。
で、まあよくこんな酷いこと自分でも思うもんだと、日々反省するんだけど、「困っていることあるなら言えばいいじゃん」と思ってしまうことがあるのです。
たまーに口に出しかけて、巨大ハリセンを持ったもうひとりのぼくがスパーン!とツッコんでくれるので、理事長なんて看板首からかけているのにも関わらず残念な発言をせずに済んでいるワケですが…いや、そんなこと言っていたら怒って下さい…マジで。

MJG-021 Mr.ハリセン

MJG-021 Mr.ハリセン



「苦しい」って言えないということは、それが何かというのは人それぞれ違いもあるし変化もするとは思うけど、いや言えませんよ。
たぶん、何がどう苦しいってこと、それ自体を考えること、分析すること、そしてそれに向き合うことって、いやこれは難しいことなんだ。
自分だって、イライラすることもあれば、何だかザワザワすることがあります。
で、その原因がどこになるかなんて、ピシャリと表現できません。
というかそれを見つめようとすること自体になんだか億劫なような、はたまた問題を見つめることで「苦しさ」が顕在化(はっきりとして)してしまいもっと自分をモヤモヤさせてしまうんじゃないかと、なんとなーくそのことを考えたりすること回避してしまったりしてしまいがちです。
仕事なんかだとリスト化して順位付けしてできることからやってみたり、スケジュールや取り掛かろうとするものを整理して、相談する人を探したり、とまあ、やりようがあります。

だけど、ぼく自身がネズミのハートみたいなところがあって、不安にはこじゃんと弱い。
とりとめのない不安っていうのは、ぼくにもあって、それが疲れなのか(休めばどうにかなるのか)、忙しいのか(やることを整理すればいいのか)、イライラしているのか(別の楽しいことで発散すればいいのか)、ただただ気休めの言葉ほしいのか(偉人たちの名言や自己啓発本は確かに勇気づけられる!笑)、ぐちゃぐちゃとこんがらがっていることがあります。
だから「困っていることあるなら言えばいいじゃん」とぼくは人から言われたりする。
そういうときぼくは「・・・(それが言えりゃこんなにモヤモヤしたりせんわッ<ピーーー自主規制ーーーー>!)」と口をつぐんでしまいます。


この話題の最初にあえて「障害のある人」と書いたけれど、それこそ「障害」というのは「言えない」という状況や環境などを、その人を取り巻く現状づくりがつくづく上手な装置のようなものだとぼくは考えています。
だから障害という「装置」をどう壊すか、はたまたその装置をハッキングして違う機能や仕組みを作り出すか、というアーツを発見することから文化が始まるのだと思っています。
その話の風呂敷をここでひろげると大変だから、横においておくとして、障害というのは「何が苦しいか」ということをどんどんそう感じている本人にも支援をしようとしているぼくらの側にも、家族や友人にも分からないものしていきます。

そのとき、ぼくたちはどうしたらいいんだろう。

一緒に考えるしかないような、いやいやもっとシンプルに一緒にいること、もしかしたらその場にいなくても気を配ること気にかけること、おもしろくなくても、暗くても、なんだか怒っているようでも、何となく声をかけたり、どういう状況なのか相手の許す範囲で聴いてみたり、持ち帰らせてもらってチームで相談してみたり、もし家族や他に支援者がいるならどういうことなのか相談してもらってそのときのことを教えてもらったり。
もちろん楽しいことやモヤモヤを忘れるようなことや機会をつくたっていい。
そういう往復と循環の中で、苦しさの正体やモヤモヤの靄(もや)が少しでも晴れて、そしてそれが明日とか明後日の見通しにでもなれば、そういう仕事ができれば、非対称な支援じゃなくて、自分のイメージする支援に近い気がする。
それでもね、ぼくの支援や取り組みについての考えが、チームづくりが合わないって人もいるかもしれない訳で、あきらめないと思っている一方、その人の意思であるならそれはもう仕方がないかもとも思っています。
だけど、何が「苦しい」のか「わからない」という苦しさというのが、それを作り出す「装置」のような正体不明として、ぼくは障害だと思っていて今まさに闘っているそれを見つけるヒントが、メンバーとの関係性の中にあるのだ。


フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

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*1:よくボーっとしているとか、何考えているか分からないとか、あとはボンヤリしているとか、はたまたおっとりとしているとか言われるけど、だいたい合っています!