しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々をしゃむしゃむと呼ばれている代表がつづります。

日記191122

今週はけっこう冷える日が多く、冬になるとぼくは頭も体も冬眠モードにはいるので、なかなか気持ちも硬くなりがちでした。
人の言葉が硬く聞こえるのは、自分の身体が硬くなってきているのかもしれないと思いました。

とある原稿チェックがきたので、「ここはこんなふうに思いました」的なことを返信したら、ではライターの人にそのまま伝えていいですか?と言われて「もちろん、いいですよ」と言ったら本当にそのまま伝わっていました笑
編集の人が不在だと、そうなるんだなと、改めて自分も気をつけないといけないなと思いました。
残す意義がある資料は、見えてくるデザイン以上に、見えない編集の仕事がとても大事だし、その編集が生きるのは「どんなことを大事にしているか」ということだと思います。
目に見えること以外を纏うアートや美術のことであれば、尚更だ。
 
もちろん、これはただの愚痴だけど、「誰がいけない」と言いたい訳じゃないんです。
そんな話に聴こえてしまうかもれないけど、交通整理や「通すべき道」は「どの筋か」ということを、だれのイニシアチブで、どんな形で人に届けたいか、という意思をどうやって持つのかということなんじゃないかって。
たぶん一般的には「責任の所在」の話だけど、なんだか2019年現在の「責任」っていう言葉を使ってそれを説明することは余計に「誰が悪いか」を明確化するようなことになってしまいかねないし、そういうことじゃないんだよなぁ…。
つまりは建て付けの話だったりすると思うし、翻って、自分も出来てないなと思います。
だけど、ライターに委ねられている(表現な)のか、それともキャプションとして人に伝える(文章である)ものなのか、今回、掲載されるテキストが残る媒体は、だれのためにあるのだろう。(744文字)