しゃむしゃむのリベルテ通信

NPO法人リベルテの日々をしゃむしゃむと呼ばれている代表がつづります。

日報200724

予測や予想、計画。そういうのって、あくまでも文字通り「予測」や「予想であり「計画」なのであって、それが変わってしまうってことは沢山ある。予定と違うじゃないかって怒る人はいるするし、ぼくも気にはするけれど、むしろそのとき大事なのは「どうしよっか」ってエクスキューズを出せることだ。
新型コロナの流行により予測が立てづらくなって、計画が計画通りなんていかないから「非常事態」になっているように感じるけど、本当の非常事態はそのエクスキューズが言えない、言ってはいけないことになってしまう状況がより強まってしまうことだ。計画がいつの間にか「設計」になっていて、計画のように柔軟で優しく柔らかくて都合の良いものが、失われている。どんどんそれは自分の首を締めてしまう。エクスキューズは「許す」という意味でもある。
社会構造的に計画通りいかず許されないということが「平時」の状態であるとしたら、非常事態の前にすでにヤバいことになっていたんだろう。そこに生きている人も少なからずそれに影響されて、たぶん、それはとても人を生きづらくする。計画通りいかないことが怖いのは、むしろエクスキューズすること、それ自体が許されていないのかもしれない。だから不信や不安が大きくなるし、拡大・更新するべき倫理観が逆に狭く硬くなってしまい、「弱い人」を苦しめる。ああ言ってたのに、とか、以前はこうだった。と。
災害やこうした感染症の流行で、計画も予測も立てづらい今、むしろ、本来の使い方としてのそれらを取り戻す機会なのかも知れない。
どうあってもいい未来に、過去で自他を責めたり決めつたりしない、人と一緒に何かをつくることを、計り画くことをもっと柔らかいものに。(しゃむ日記 第1部 完)